少し前に、こう書いていた。
「自分としては、カラーや諧調が中心になる絵作りをメインにするのではなく、どれだけ対象のリアルに迫れるかに重心を置きたい。と言っても、絵作りにまったく関心がないわけではなく、カメラによる絵作りの違いは気になる」
が、ここしばらく、Lumix LX3 や、Sigma DP2(直近ではEos 5Dまでひっぱり出している) で撮っていて、書いたこととは裏腹に、やっぱりカラーや諧調に傾くこころの比重が大きい、なんなら6対4 で描写力に勝るかもと思うようになっている。
これはつまり、写真は、ありのままの描写よりも、その時の被写対象と撮り手の主観が交錯したところから生まれる光景を作り出す(produce)ものだということだろうか。写真用語で、「記憶色」と呼ばれている光景?
とすれば、適切なたとえかどうか分からないが、前者が図鑑だとすれば、後者は記録(ドキュメント)にあたることになるだろう。記録とは、別の言葉で大げさにいえば「自分物語」でもあるだろう。撮り手も、鑑賞する者も図鑑ではなく、やはり記録を残したい、見たいと思うだろう。
考えてみれば、もともと「ありのままの描写」は、どこまでいっても撮り手の主観から切り離すことはできない。漠然とは分かっていたが(振り返ると、このサイトのタイトルがそもそも「Expressions」であり、撮ることが主体的な行為であることを意識していたのだった)、ここにきて無視できないと思うようになっている。言葉は適切ではないかも知れないが、写真観について一種の転向(それとも転回)というべきか。
以下はこの間、二つのカメラで撮ったもの。












