撮らされる

最近、まきりなさんが、古いデジカメを撮り比べる動画を出していて、その企画でLumix GF1が取り上げられていた。いわく「これほど階調が優れていて、自分の好みに合うとは驚いた」と。かねてからGF1推しだった私なので、我が意をえたりの感じだった。

つい最近もGF1を使う機会があって、感じたことがあった。その時撮ったものの一枚がこれ。

階調も見事だし、立体感もよく表現できている。と、客観的な言い方をしているのは、これは私の腕ではなく(Aモードで焦点を決め、露出をアンダーに補正しただけ)、100%、GF1の業だからだ。ということは、私が撮ったのではなく、私がこのカメラに撮らされていることになる。つまり誰が撮っても、この水準の写真が(GF1によって)出てくるのだ。フルサイズの名機、EOS 5Dについても同じことが言えるだろう。

ここでムクムクと反発心が湧いてきて、カメラに撮らされるのはいやだ、自分の感覚で撮りたいという思いが強くなってくる。カメラの絵作りに頼れば、確かにそこそこの写真は撮れる、つまり平均点は取れるだろうが、それでは面白くない。

自分としては、カラーや諧調が中心になる絵作りをメインにするのではなく、どれだけ対象のリアルに迫れるかに重心を置きたい。と言っても、絵作りにまったく関心がないわけではなく、カメラによる絵作りの違いは気になる。

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