絵のような

先日、辻堂の海浜公園で撮ってきたものの中に何点か、自分で言うのも気恥ずかしいが、絵のようだなと感じたものがあった。

今月3日に書いた記事「何気に収まっている画」とほぼ同じ印象。そこで書いたように、全体の明るさや、構成物のバランスなどを含む構図も関係しているだろうが、ここでは、空の「青」、雲の「白」、背景の林やヤシの「緑」、それにテントのカラーの抑えた色味(色乗りと言うべきか)が果たしている役割も大きいと感じる。パナソニックのマイクロフォーサーズカメラがもつ独特の色味という人たちもいるようだ。

でもここで言いたいのは実はそのことではなく、いくつかの要素が重なった時に、ある写真が見る者に与える「永遠」というしかない印象についてだ。写真は秒の速さで、レンズに映る世界映像を切り取るもので、しかもほとんど偶然の所産である(太陽の位置など)。その秒でとらえた世界映像が永遠の印象を与えるということになる。時は流れる。だが写真は時を「永遠」に止めることができる。

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